我が家にしか通じない「警句」がある、曰く『槙の木の猫』。
以前住んでいた自宅(今は孫が二人になった一家に乗っ取られている)に陽当たりのいい庭があり、目白や雀、鵯や番いの雉鳩などが遊びに来ていた。そして、それらにちょっかいを出す近所の黒猫も毎日のように顔を出していた。
その猫、家人が顔を出すとサッと逃げるのだが、その道が二つあって、西に逃げるときはカイヅカイブキの生け垣の隙間をくぐり、東へ逃げるときは東南隅のマキノキを駆け登って隣家との境の塀に跳び移るのを常としていた。
ある年の冬の暖かい日、何気なく庭に出ると、折しも昼寝を決め込んでいた例のニャン公は、得たりと東へ逃げて塀へ登ろうとしたが、無い! 頼みの綱のマキノキが無い! 実はその秋の台風の後、前から傷んでいた件の木が遂に折れかかったので、思い切って切り倒しておいたのだ。それと知らずにパニック状態に陥ったニャン公の慌てっぷりの、いや面白かったこと。以後、それを我が家の語りぐさとして、当てにしていたことが外れて狼狽する場合を『槙の木の猫』と呼んでいる。
今はもう見ることも少なくなったが、従前は柱時計を修理に出しておいたのに、つい習慣で見上げて「無い」と気付いて苦笑した経験をお持ち方は多いだろう。似たようなものである。
さて、何故「槙の木の猫」を持ち出したかと言うと、ちょっと話は古くなったが例の民主党小沢氏への献金問題についてである。
西松建設側から同じく献金を受けていた自民党の面々が、例によって早々と「返金」して「知らぬ顔の半兵衛」を決め込もう......としたがどっこい、献金元がすでに存在しなくなったとかで、「返金」が宙に浮いてしまっていると聞いた。これぞ立派な「槙の木の猫」である。腹を抱えて笑いたいところだが、さて、その後はウヤムヤのようで、腹立たしいこと夥しい。
大体「返せば済むダロ」というようなガキの発想が罷り通ること自体が不思議である。その伝で行けば、賄賂性のある献金をした企業は、センセイに良きに計らって貰ってしこたま儲けた上で、バレそうになったからと「元手」が帰って来るので、こんなうまい話はない。まさに「ドロボーに追い銭」以外の何者でもないだろう。
国民から税金という名の献金を受けてムダ遣いした言い訳に、僅かばかりを「給付金」などと勿体振って「返金」してご機嫌を取ろうなどという魂胆は、関西流に言えば「イジマシイ」限りである。
【
「Weekly Spot」へ】