2009年 06月 08日
芸術家は芸術家として遇しよう |
アメリカで4年に一度開かれる「ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール」で、辻井伸行さんが日本人として始めて優勝した。素晴らしいことだ。
受賞後彼は「障害者というより、一人のピアニストとして聴いてくれたのが、とても嬉しい」と語っていた。彼は生まれつき全盲である。
スポーツの世界では「オリンピック」と「パラリンピック」が分離されているが、芸術のコンペティションでは身体的な障害の有無によるハンディを問われることはない。しかし、この結果を伝えるNHKをはじめとするマスコミのニュースは、総じて「全盲の」と始まる。だが本来は、権威ある国際コンクールの結果として優勝者の名前をまず報じ、それが日本人であったことを誇りをもって喜び、そしてそのプロフィールを紹介する段になって、さりげなく「実は......」と触れて措けばいいことであろう。
あの彼の発言は、その背景を考えるとき、とても重要である。類い稀な才能を開花させながら、常に「障害がありながら......」というハンディを前提に語られるのは不当である。
この道の草分けとも言えるヴァイオリンのW氏も常にそのことを指摘していた。永年演奏家と主催者という関係でお付き合いして来た中で、それについて一度だけ、あの温厚な氏が非常に立腹される場面に遭遇したことがあった。ある夜遅く、電話があった(言うまでもないが、電話もメールも常に氏自身からである)。
曰く「今日はボク、ご機嫌斜めなんですよ」。
話を聞いてみると、事の次第が判った。その日、東京近郊の都市のコンサートへ招かれて演奏した。そこでは「主催者が、開演前と休憩後と、本プロが終わったあとも、ボクの(盲目である)ことを言うんですよ。だから----(気分を害して)アンコールを弾かずに帰ってきてしまった」のだ。氏は付け加える、「障害者を支援する催しに協力することは言うまでもなくやぶさかではないが、ボク自身は、障害者である前に音楽家のつもりなんですよ」。
身体的な特徴は、人それぞれだ。あのヴァン・クライバーンは片手を開くと、鍵盤上で楽に12度届いたそうだ。片や日本の小柄な女性ピアニストにはオクターヴがやっとと言う人もいる。でも、みんな同じサイズの楽器に向かい同じ譜面を弾き、素晴らしい音楽を奏出している。そこには何の条件的な注釈も不要である。
心ない主催者があからさまにハンディを売り物にコンサートを設定するのはアーティストをないがしろにすることであり、一般人が我が身と引き比べて極く素直に「目が悪いのにスゴイ」と感嘆するのとは全く訳けが違う。
#
by drinkingbear
| 2009-06-08 21:03
| コラム