2012年 09月 15日
......サセテイタダキマス |
つい先程耳にしたNHK−TVのアナウンサーの言に因れば「自民・民主両党の総裁選は佳境に入った」そうである。
「佳境」という言葉の使い方について今はさておくとして、関連する番組での石原伸晃氏の演説に曰く「......立候補サセテイタダクコトトサセテイタダキマシタ」。つい舌が回りすぎたのであろうが、この持って回った(回り過ぎた)言い回しには恐れ入る。
最近は、この「サセテイタダキマス」がやたらと使われるので、耳障りなこと夥しい。
最近は、この「サセテイタダキマス」がやたらと使われるので、耳障りなこと夥しい。
前述の言も、自分のことなのに「何故立候補することに致しました」とキッパリ言わないのだろうか。ゲスの勘ぐりで申せば、「立候補自体も自分だけの責任では無いよ、させてくださった方々にもあるよ」とほのめかしているみたいだ。
この種の「謙譲表現?」があまりにも多いので、日本の政治家の演説・発言には、自身のリーダーシップの発露や心に響くような説得力が希薄で、実につまらない(余計なことだが、この「サセテイタダキマス」は外国語にはどう翻訳されるのだろう?)。
ついでに別の例を引くとこんな場合も気になる。「何日何時開会」と(一方的に)指定して集めておいて、その時になると「では何々をハジメサセテイタダキマス」とは今更白々しい。参会者は先刻ご承知なのだから「始めます」で何の違和感も抵抗もない筈だ。この種のへりくだり表現は、むしろ慇懃無礼であろう。
なにしろこういった謙譲語や敬語の使い方の不適切な場合はゴマンと転がっている。
昨年の3・11の後、非常事態発生時の対応には不備が甚だしいと評された東京電力が、会見で「原子力保安院からご評価を頂きまして」とやっていた。普通なら「ご評価を頂く」は、良いことを意味すると思うのだがどうだろう。この場合は「ご指摘を受けまして」とすんなり言っておけばいいことだ。
さて、翻ってコンサートの世界をみても「サセテイタダキマス」が浸透しているのには驚く。
演奏者がステージで自らの想いを語るのは大いに結構ではあるが、その中で「ただいま演奏サセテイタダキマシタのは」、或いは「今回取り上げサセテイタダキマシタのは」、さらに「これから演奏サセテイタダキマスのは」と述べるのを聴くと、むしろ悲しく腹立たしくなってくる。
「只今演奏しましたのは」「これから弾きますのは」、でなければせめて「お聴き頂きましたのは」「これから聴いて頂くのは」位言えば充分丁寧なのだ。
もう無意味な「サセテイタダキマス」はやめようではないか、その用法に「卑下」の意識があっても無くても無用な表現としよう。率直に自分の言葉で自分の想いを述べて欲しいと願う。
by drinkingbear
| 2012-09-15 11:04
| コラム