2011年 02月 02日
ケータイの効用...... |
「携帯電話」が進化して、いまや「ケータイ」になった----と、云うところであろうか。「携帯電話」は "メールも出来ます" だったが、「ケータイ」は "お望みなら通話も出来ます" のだ。
従前は「面と向かって話し難いからから電話経由で」だったが、「それもイヤなのでメールで」の時代。若者の間では「メール語」とでも言うべき新しい言語が誕生しつつあるご時世で、必然的に「会話が苦手」族が増加している。音声を伴って初めて可能な微妙な感情表現とその理解が困難になりつつある場面に、しばしば遭遇するようになった。
もっとも、そのケータイが思わぬ効用を発揮する場面もあるから可笑しい。
今回の「力士八百長疑惑事件」では、「携帯電話」を使えば通話記録こそ残るが中身は判らないのだが、それが「ケータイ」を使ったためにのっぴきならぬ証拠が残ってしまった。報道によれば、メールの中身もまさに会話の録音同様に生々しい。身体の大きな力士が、チマチマとケータイのボタンを押して「会話」している図など、いっそ滑稽でもある。通常やりとりしたメールをその都度消去する習慣はあまりないようなので、ここでは「証拠隠滅」が起こらなかったが、果たして幸か不幸か?
声だから伝わることと、文字でなければ表せないニュアンスを味わうこと----どちらも心豊かに楽しみたいものである。
従前は「面と向かって話し難いからから電話経由で」だったが、「それもイヤなのでメールで」の時代。若者の間では「メール語」とでも言うべき新しい言語が誕生しつつあるご時世で、必然的に「会話が苦手」族が増加している。音声を伴って初めて可能な微妙な感情表現とその理解が困難になりつつある場面に、しばしば遭遇するようになった。
もっとも、そのケータイが思わぬ効用を発揮する場面もあるから可笑しい。
今回の「力士八百長疑惑事件」では、「携帯電話」を使えば通話記録こそ残るが中身は判らないのだが、それが「ケータイ」を使ったためにのっぴきならぬ証拠が残ってしまった。報道によれば、メールの中身もまさに会話の録音同様に生々しい。身体の大きな力士が、チマチマとケータイのボタンを押して「会話」している図など、いっそ滑稽でもある。通常やりとりしたメールをその都度消去する習慣はあまりないようなので、ここでは「証拠隠滅」が起こらなかったが、果たして幸か不幸か?
声だから伝わることと、文字でなければ表せないニュアンスを味わうこと----どちらも心豊かに楽しみたいものである。
by drinkingbear
| 2011-02-02 23:09
| コラム