2009年 10月 20日
「やる」と「あげる」〜今時日本語考〜 |
日本のプロ野球がいわゆる「プレイ・オフ」に入っている。
新聞の記事に目をやったら、「勝利への条件として先取点をあげないこと」とあって瞠目した。「先取点をあげる」つまり先に点を取ることが必須条件なら頷けるのに、点を取らないことが肝要とは......? 落ちついて読み返すと、何とそれは「相手に先取点をやらないこと」のようだった。勿論それなれば理の当然である。それにしても「先取点をやる」といわずに「あげる」とは、天下分け目を闘っている最中に、なんともはやお上品なことではある。こういう場合に使う「進呈する」という丁寧めいた言い方があるが、こちらは多分に自虐的な意味合いを含んでいて状況が推察できる。
さて、ここで問題の「あげる」は「やる」の丁寧表現のつもりなのか?
例えば家族間で、夫が妻に「坊主の誕生日には何か買ってやるのか?」、妻が子供に「ねぇ、今度のお誕生日、なに買ってあげようか?」。その妻が外出先で出会った知人に「この子に何か誕生祝いを買ってやろうと思って......」がごく普通の用法だろう。
しかし、今や大半の「やる」は「あげる」に置き換えられつつある。例えば「庭の植木に水をあげる」、「遣り水」などという言葉は死語か。「やる」が粗雑感があるので「あげる」を使う傾向があるという学者の分析もあるがどうだろう。
テレビではもう「あげる」の氾濫で、結局知らぬうちに慣らされて行くのだろう。
医療番組:「心臓への負担を軽くしてあげる」----この「あげる」は全く不要だろう。単に「心臓への負担を軽くする」で充分だし「......負担を軽くしてやる」でも自然で問題ないと思うが。
料理番組:「......微塵切りにして、あと包丁の背でよく叩いてあげます」。
そう言えば、料理に関連して「食べ合わせ」なる言葉が用いられている。或るものと別のものを「同時に摂取する」ことを、「食べ合わせ」と称しているのだ。
だが「食い合わせ」と言い慣らされているのは、事の真偽は別として「同時に摂取してはいけない」ものを差している。曰く「鰻と梅干し」「天麩羅と氷」。この「食い」と「食べ」は、「やる」と「あげる」の場合とは全く別の使い方だ。だが「食い合わせ」を識る者にとっては、ややこしいこと夥しい。
それにしても、人気の時代小説作家の作品に、地の文として「長屋の女房が赤子に乳をあげている」とか「遊び人が夜鷹に小遣い銭をあげた」と出てくると、なんとも救いようがない気分にされる。
by drinkingbear
| 2009-10-20 12:23
| コラム